カルチャー

〈静岡市立芹沢銈介美術館〉デザインはやがて民藝運動の中心へ-自由な精神とその生き様に触れて

たまに聞く「生き様は顔に出る」という言葉が僕は恐ろしい。

自分の顔にはいったいどんな感じでその生き様が表れてくるんだろう。大丈夫だろうかと。

「性格は顔に出る」「苦労は顔に出る」あと「顔に書いてある」とか

日本語にはやたら顔関連の言葉は多いからきっと「生き様」に関しても本当なんだと思う。

四月の静岡の旅の中で「静岡市立芹沢銈介美術館」に足を運んだ時に観た芹沢銈介の顔はなんだかとても「いい顔」に見えた。

“人間国宝”にも選ばれた染色界の重鎮はいったいどんな生涯を送り、どのような作品を残したのか。

今回美術館に並ぶ作品群や彼の住居を巡ることで、少しだけその生き様に触れることができたような気がした。

芹沢銈介の生涯とその作品たち

▲ 美術館の入り口には色鮮やかな染め物が描かれた看板が。

弥生時代の農耕集落の遺跡としても名高い「登呂公園」の中に位置する「静岡市立芹沢銈介美術館」は、
建築家 白井晟一の設計によるもので、遺跡の雰囲気と周辺の自然に融け込むように、石や木、水といった天然素材を選んで構成された美術館だ。

入り口の鮮やかな看板とは対照的な白い石を積み上げた外壁からは厳かな雰囲気が感じられ、
静かな館内へと進むにつれて期待感と共に“人間国宝”という言葉に対して急に背筋が伸びるようなそんな気持ちになってくる。

▲ 美術館の外壁。本館は白井が好んだ京都・高山寺の石水院に因み「石水館」とも呼ばれており、
1998年(平成10年)には公共建設百選に選定された。

中庭を抜けて建物の中へ。

館内は暖色の照明が優しく灯っており、最初の展覧会ポスター以外は撮影禁止のため、
撮影のために立ち止まる人もおらずスムーズに作品を鑑賞することができる。

館内は10室の展示室に分かれており、着物や帯、のれん、屏風、額絵などの芹沢作品が多数展示されていて、
作品以外にも世界の民俗資料などの工芸品コレクターとしても知られていた芹沢銈介のコレクションを鑑賞することもできた。

▲ 訪問した日は「芹沢銈介の絵本と挿絵」の開催期間だった。

展示内容は年に数回変わり、作品の他にも資料や映像から芹沢銈介の生涯に触れることもできる。

1895(明治28)年5月13日、静岡市で7人兄弟の次男として生まれた芹沢銈介は、
幼少の頃より絵の才能を認められ、画家を志望していたものの、中学卒業を目前に生家が全焼。

このことをきっかけに憧れていた美術の道は諦めて、生活の糧となる工業デザインの道に進むことなったそう。

その後も29歳のときに芹沢家が親戚の保証人となっていたことが原因で土地・家屋・山林・田畑すべてを失い、
借家住まいをすることになるなど苦労の絶えない前半生を過ごしていたが、32歳のときに柳宗悦の「工藝の道」を読み、
人生が一変するほどの深い感銘を受けたことをきっかけに民藝運動の中心的な存在へと変わっていったようだ。

▲ 弟子の染色工芸家 柚木沙弥郎は京都の新たなランドマークとしても話題の「エースホテル京都」の内装なども手掛けており、
最近も生誕100年の展覧会が開かれるなど、その技術と意思は今なお受け継がれている。

1934年の春に家族と共に静岡から上京してからも戦争時の空襲では自宅と家財や作品、工芸品のコレクションが焼失し、
居候として知人の邸内での6年半にも及ぶ仮住まい生活をすることになるなど相変わらず苦労は絶えなかったようだが、
55年には芹沢が用いた「型絵染」の技法が重要無形文化財に指定され、その保持者(人間国宝)に認定されることとなった。

また、後進の育成にも力を入れ、各人の持ち味・特色を生かす自由な指導方により、
自由でのびやかな文様と美しい色彩、そして染色へのひたむきな精神が門下生達へ継承されていった。

芹沢銈介の住居へ

▲ 美術館の屋外には1987年(昭和62年)に東京都大田区蒲田から移築した「芹沢銈介の家」がある。

美術館の屋外には芹沢銈介の住居が移設されており、毎週日曜は見学が可能となっていた。

二階建ての建物で一階の応接間は作品の構想を練ったり、型紙を彫ったりした創作の場でもあったらしい。

本人も愛着を持っていた建物だったようで、
「ぼくの家は農夫のように平凡で、農夫のように健康です。」と語っていたとパンフレットにも記載があった。

実物を観るとたしかに素朴な家という印象を受けるが、家具、木工品、染織品、陶磁器、玩具など、
一つ一つよく見ると世界中の工芸品であふれており、それと同時に静かに過ごすことのできる居心地の良い空間だったのではないかと感じられた。

生き様の表れた「いい顔」

▲ 住居の中には芹沢銈介の写真が。

苦難の多い人生、“人間国宝”になる程のたゆまぬ努力。
染色界の重鎮と言われる人間ともなるとそういったイメージが先行するが、
住居の中でみた芹沢銈介の写真の表情からは厳しさや険しさのようなものは感じられず穏やかで実直そうな人柄が伺えた。

実際過去のテレビ取材時にも芹沢は、型絵染の作業の最中に下絵の線がズレても意に介さず、
切り取るつもりのなかった紙片が取れてしまう事があっても「あ、取れちゃった」と言いながら切り過ぎた部分も生かした図柄を作っていたらしい。

こういう時に腹を立てたり、落ち込むような人ではなく、偶発的なことも含めて創作を楽しむ姿勢がこの表情の根幹にあるのかもしれない。

芹沢銈介と比べるのは大変おこがましいが、少しでも彼のような自由な精神を持ち、生き様の表れた「いい顔」に僕もなりたいと思った。

text: Masato Okada

静岡市立芹沢銈介美術館

◇ 静岡県静岡市駿河区登呂5丁目10−5 
バス-静岡駅南口、しずてつジャストライン22番バスのりばから、「登呂遺跡」行きに乗車、終点「登呂遺跡」にて下車。約10分。
車-静岡インターより約10分、日本平久能山スマートI.C.より約10分。
開館時間-9:00~16:30 
休-毎週月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日(土日を除く)、展示替期間中(年4回)、年末年始
HP-www.seribi.jp

京都で出会ったライフスタイルホテルという新しい街づくり

〈エースホテル京都〉ライフスタイルホテルってなんだろう? – その街の一部という在り方

芹沢銈介の弟子でもある柚木沙弥郎が内装を手掛けたことでも話題の
「エースホテル京都」はシアトル発“ライフスタイルホテル”の先駆け的存在。

デザイン性の高い空間と宿泊以外の付加価値をテーマとしていて、
その土地の文化との共生を考えたホテル作りという考え方は新しい京都の景色を生み出している。

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