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〈宮城県 石巻〉後編 復興と伝承、未来への声を聞く。/ISSUE 005

「いしのまき元気いちば」を後にした僕たちは、旧北上川沿いに河口を目指して進んでゆく。右手には小高い丘が続いている。「日和山」という名前の山なのだそうだ。

実は同じ名前の山は日本各地に多数ある。その多くは港町にあり、船乗りが船を出すかどうかを判断するために天気の様子を見る“日和見”が由来だ。

由来通りであれば、ここに登ると石巻湾とその先に広がる雄大な太平洋を望むことが出来るはずだ。しかし、あまりの暑さに登り切れる気がしないので諦めることになった。

その後も20分ほど歩き日和山の横を通り過ぎて、いくつかの建物のかげを抜けたあたりで僕らは「あっ!」と声を上げた。

一本の道路を境に、ほとんど何も建っていない広大な敷地が広がっていたのだった。真新しい建物と、幾分か高くなった全体を見渡すことができそうなところに東屋のようなものがあるだけだ。

石巻南浜津波復興祈念公園。追悼と伝承の地

石巻南浜津波復興祈念公園の内部

▲一段高くなった位置からは、石巻南浜津波復興祈念公園の全景を望むことが出来る。

ここは東日本大震災による大津波で甚大な被害を受けた南浜地区だ。大津波とその後に発生した火災により殆どの建物が失われてしまった。現在ここは、“石巻南浜津波復興祈念公園”として、追悼と鎮魂、そして伝承の場へと変わった。

この公園内にあるガラスで覆われた円形の建物が、「みやぎ東日本大震災津波伝承館」だ。この土地と、震災の記憶を留めるとともに、二度と繰り返さないよう語り継ぐ為の施設として作られた。

みやぎ東日本大震災津波伝承館の外観

▲建物の屋根は海側が最も低く、山側に向かうにつれて高くなっていく。
最も高い部分は6.9mで、この地を襲った津波が停滞した時の高さと一致する。
真下から見上げてみるとその高さに驚いた。

内部はパネルの展示や、教訓とする為の「シアターくり返さないために」の映像展示がされている。パネルにはあの日何が起きていたのか、どれだけの被害があったのか、貴重な記録として残されている。自由に見て回ることもできるが、解説員の方に質問をすることでより詳しく知ることができる。

僕たちが南浜の地域や旧北上川を遡上した津波による被害のパネルを見ている時に、解説員の方から「何か気になることはありませんか?」と声を掛けて頂いた。せっかくなので、どれほど遡上したかなどを質問してみたところ、一つひとつ丁寧に解説をして下さった。

また、別の解説員の方からも「今日はどこから来ましたか?」と声掛けをして頂いた。「東京からです」と答えると、東京で大地震が発生した場合にどのような被害が考えられるのか、その被害を抑えるために一人ひとりがどのような備えや行動を取ることが大切かについて教えて頂けた。

門脇小学校と日和山。“あの日”を静かに語り継ぐ

東日本大震災で起きてしまった悲しみが二度と繰り返されないよう、“後世へ語り継ぐ”という事をとても大切にされているのだった。そして帰る時に、日和山の麓にある“震災遺構”として保存されている「門脇小学校」と「 日和山の山頂」へ行くことを強く薦められた。

伝承館を後にした僕たちは、その言葉に従って先ずは門脇小学校を訪れた。門脇小学校は、震災時に津波が押し寄せ、その後に発生した火災により校舎が大きな損傷を受けた。当時、生徒は教職員の避難誘導により、付近の住民同様に日和山に避難したことで犠牲者が出なかったのだそうだ。

保存が決まった門脇小学校

▲南浜・門脇地区を襲った大津波とその後発生した火災の爪痕を残す門脇小学校。
津波火災を伝える重要な震災遺構として保存・公開されている。

撤去か保存か、さまざまな意見があったのものの、ここでも“後世へ語り継ぐ”為に補強・整備をした上で震災遺構として保存されることとなった。

あの日、被災地にいなかった僕たちにとっては、被災された方の思いを全て知ることは到底出来ない。しかし、二度と繰り返さないために語り継ぐ意志をしっかりと受け止め、僕たち自身の行動に変えなければならないのだろう。

日和山から望む復興祈念公園と太平洋

▲日和山山頂から望む門脇・南浜地区。ここには多くの住宅が建ち並び、郵便局や病院がある一つのまちだった。
雪が降るほど冷え込んだあの日、多くの人々がここ日和山へ避難した。

この街の声に耳を傾け、考え続けてゆく

東京の恵比寿にある、東京都写真美術館で見た一本の映画を思い出した。小森はるかさんと瀬尾夏美さんによる「二重のまち/交代地のうたを編む」というタイトルがつけられた作品だ。

この作品は東日本大震災により甚大な被害を受けた岩手県・陸前高田が舞台になっている。このまちでは浸水した土地に10mを超える嵩上げ工事が行われた。作品では震災当時、被災地から遠く離れた場所にいた4人が“旅人”として陸前高田を訪れる。

そこで震災の当事者と対話をする場面、それらを旅人自身が自らの言葉で語り直す場面を繰り返す形式で作品が構成されている。“旅人”が語る場面では、当事者ではない事の躊躇や戸惑い、迷いが明確に表れている。それでもなんとか自分自身の言葉を紡ぎ出していくのだ。

震災前に人々が暮らしていたまちと、新たに嵩上げによって出来たまち、これが“二重のまち”という言葉で表現されている。石巻を含め被災地では元のまちが失われ、姿形を変えてしまった。しかし、二重のまちでも描写されているように目には見えなくても記憶や継承によりもう一つのまちがきっと存在している。

あの日から11年以上の時が経過した今、当事者ではない僕たちはどのようにあの時の出来事に関わっていくべきなのか正解はないのかもしれない。ただ一つ言えるのは、あの日の教訓を伝え続けようとする声にしっかりと耳を傾け、考え続けてゆくことだと思う。

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