瀬戸内海の各島々への移動手段は本州・四国からのフェリーか高速船が中心だ。
岡山県玉野市宇野の街にある宇野港にもフェリーターミナルがあり、
かつてより宇野の街は「連絡船の街」として栄えてきた。
そして今なお本州と四国を繋ぐ重要な玄関口としての役割を担っている。
近年、僕らが瀬戸内国際芸術祭へ訪れる際にはこの宇野の街を拠点に移動することが多い。
港に面した「JR宇野駅」の近くには高い建物が少なく、見渡しが良い。
“国道30号線”が街を横切っているため、国道沿いに移動することで地図が無くても移動に困らない点も魅力の一つだ。
▲エステル・ストッカーが手がけたJR宇野駅は2020年6月にリニューアル工事が完了した。
白黒の幾何学模様が印象的な街のランドマーク。
また、瀬戸内国際芸術祭の影響で宇野港周辺にはアート作品も多く展示されている。
瀬戸内国際芸術祭期間ということもあり、各作品には受付が設けられており、
そこで受付の方と少し話す機会があった。
芸術祭期間に作品の受付をするのは地元の人の役目なのかと思っていたが、
他の地域からバイトで来ているという人や、宇野が地元で受付の手伝いをしているという人など様々だった。
中でも印象深かったのは「受付のバイトをすると大学の単位がもらえるから」という理由の人。
本人も不純な動機と笑って話していたが、そんな授業があるなんて羨ましい。
“まちづくり”か美術系の授業だろうか。本人がフェルマーの最終定理のTシャツを着ていたからもしかすると数学系?数学系で芸術祭というのはあまり結びつかないが、もし自分も大学生に戻れるのなら、その授業ぜひとも受けてみたい。
▲ムニール・ファトゥミの「実話に基づく」は
廃病院を舞台にしたインスタレーション。
そんな芸術祭が宇野の街にもたらしたものは様々ある。以前はシャッターが閉まっている店も多かった宇野の街も芸術祭を機に県外からの移住者が増え、活気が戻ってきているらしい。カフェや雑貨店、パン屋など新しい店が増えている事に加えて、それまで使われていなかった建物や場所で作品を展示する事によって、街の中で“忘れられていた場所”や“機能していなかったもの”を再生させている。
▲片岡純也+岩竹理恵の「赤い家は通信を求む」は小さな木造2階建の空き家が舞台。
残されたモノや家自体を装置で動かし、ゴーストのように再生させた作品。
1988年の瀬戸大橋開通により、国鉄を引き継いだJR四国が運航していた、宇野港と高松港を結ぶ宇高連絡船は廃止。またJR宇野線の支線化や近年の高速道路無料化問題の影響もあり、旅客が激減したことで民間のフェリー会社による宇高航路が休廃止に追い込まれるなど、航路の存続自体も危ぶまれている宇野港。
地域の協議会等でも宇高連絡船の復活や航路の活性化を議題に挙げているようだが、そういった街としての働きかけの影響なのかアート作品たちにも廃材を使った作品や再生をテーマにしたものが多いように感じられた。
また、街としての楽しみはアート作品だけではない。
宇野の街では港らしく新鮮な海鮮も楽しむことができる。
▲「すし遊館」は宇野では人気の回転寿司。週末の夜は行列必須で「生本まぐろ」は一度も冷凍していないこだわりの逸品。
肥料や農薬、除草剤を使わずに栽培した岡山県産「朝日米」を使用したお寿司は、どれも新鮮で美味。家族連れが多く、店内も活気があった。
1時間ほど待って19時頃に入店した際には旬のネタは殆ど品切れ状態になっていたので、週末の夜は早めに行くのが良いかもしれない。
▲ドォーンと大きな音。振り返ると「玉野まつり 花火大会」の花火が夜空に大きく上がっていた。
「すし遊館」に向かう時から気になっていたが、街には浴衣姿の人が海沿いを目指して一斉に移動を始めていた。
食事を終えて外に出るとどうやらその日が花火大会のようで夜空には遠目でもハッキリと大きな花火が上がっていた。
家族連れやカップル、学生達などあらゆる人達が花火を見上げていた。宇野にはこんなに人がいたのかと驚いたが、花火大会という行事がこの街の見えない姿を見せてくれたような気がした。
先祖や亡くなった人たちの霊が帰ってくるとされるお盆の時期に花火大会が集中しているのは、
花火に鎮魂の意味があるからだそう。
芸術祭を機に再び日の目を浴びるこの「連絡船の街」は、忘れられた場所や残された物たちが人々の営みを色濃く映し出し、街の記憶として今日も僕たちを迎えてくれている。
text: Masato Okada